左岸のみどころ

 住吉橋の左岸には、安宅住吉神社を中心に、航海の無事を願った船乗りたちの思いと、勧進帳の舞台となった安宅の関で繰り広げられた“智仁勇”の心が刻まれています。

 

  

<リスト>

○安宅住吉神社

○「勧進帳」銅像

○長沖

 ・「蟹の甲羅揚げ」

 ・金剛の間

 

 

 

〇安宅住吉神社
 祭られている神様は住吉三神です。創建は今から約1,200年前の奈良時代ですが、これまでに4回お引っ越しをしており、この地に着いたのは今から約370年前、江戸時代初めだったと伝えられています。海の守護神とともに、勧進帳の舞台である関所ゆかりの地から、難関突破の神として敬われています。

北前船は基本的に風力で動く木造船だったので、現在の船以上に悪い天気に弱く、旅の途中でひっくり返ったり沈んだりすることもしばしばありました。
 ですから船乗りたちは、海の安全を安宅住吉神社とおとなりの金比羅宮に願い、多数の船絵馬をおさめています。

 

 

安宅中学校の校章は、源氏の家紋が由来です

   

 

 

 

 

 

〇「勧進帳」銅像
 歌舞伎「勧進帳」の冨樫、弁慶、義経の三像です。作者は石川を代表する彫刻家、都賀田勇馬(つかだゆうま)です。戦前に活躍した歌舞伎役者をモデルに、勧進帳のラストシーンを再現しています。もとは戦時中に陶器で作られて違う場所にありましたが、1966年に改めて銅像が作られ、この地に落ち着きました。

 実は、義経の像だけ少し大きめです。理由は義経像だけが平成に追加されたものだからです。勧進帳のラストシーンに義経はいないけど、全国的にも歴史的にも人気者な義経がいないのはいかがなものか、という意見が多方面から届き、安宅観光協会が対応したそうです。

 

 

 

 


〇長沖
安宅を代表する料亭の一つです。長沖は明治時代末に浜茶屋からスタートし、地もののよさを活かし、なるべく手を加えず、飾ることのない、風情ある料理づくりをしています。

・「かにの甲羅揚」
 かにの甲羅にほぐした身をぎっしり詰め、油で揚げた長沖の名物です。長沖の常連だった小松市の初代市長・和田伝四郎へ出されたのが最初だと言われています。大変喜んだ市長は「うまいうまい」と、来るたびに食べたそうです。

・金剛の間
 北前船の大船主松村家の離れを移築したもので、和室の基本である書院造りです。松村家がお客をお迎えするための部屋だったので、見栄えを良くするために壁は赤く、柱は漆塗り、天井板は特注品です。これらは指紋が付きやすく、管理が難しいそうです。
安宅住吉神社には松村家が納めた船絵馬が最も多く残っており、大船主の実力を今に伝えています。